子供を亡くした悲しみに耐える日々

2017年3月23日、もぅ2度と目覚めることのなかった朝、あまりにも突然で、さよならさえ言えなかった。逢いたい、寂しい、消えない悲しみ
重度の脳性麻痺、障害児となった息子の8年11ヶ月の日々

乗り切らないと

明後日は終業式です。

これから、ずっと終業式、特に修了式の前日は哀しみが酷くなる気がします。

とくに明日。


3月23日、息子が天国に逝ってしまった。8歳でした。

朝起きたらグッスリ眠ってたのでそっとしてあげてて、でもいつまで経っても起きないので起こそうとした時に気付いた。

冷たいと言うか、生温かいと。


産まれて間もなく新生児細菌性髄膜炎になり、この時に病院から覚悟しておいてください。と言われたけれども容態も落ち着き回復に向かい3ヶ月後に始めて家に帰って来ました。

だけど運動、知能障害が残り病院にリハビリに行ったり何度も手術を乗り越えて頑張って来ました。

ずっと私は息子が生活の中心でした。

朝起きて息子で始まり息子で1日が終わる。

でも朝起きたら身体が冷たくなってて、寝てる間に何が起きたのか分からなく救急車を呼び、でも救急隊の方が少し機械を胸にあて外し、このままで触らないでください。警察の方を呼びます。

自宅で亡くなってるので警察の方々が来て部屋を締め切り現場検証と事情聴取、事情聴取がまるで犯罪者扱い。

病院に連れて行き司法解剖します。と言われ車に息子が連れて行かれてから今朝まで寝てた部屋に入れると、朝まで着てた服、オムツも置いてあって裸で行ったんだと悲しくなりました。

司法解剖が終わって帰ってきてから警察の方が謝って着ました。疑うのが仕事だからわかるけど、早く原因が聞きたい。

そしてその後、原因が誤嚥の窒息死、夜の注入物が上がってきて気道をふさいでいたと。

睡眠時の誤嚥のリスクが高いのは分かってたけど、私はスパルタではないけど息子のためを思い、自分で吐き出せる力があるので吸引機を使うのを嫌がっていたのもあり、いつもは寝ていても吐けるのにどうして吐かなかったのだろうと。

当時いつも以上に緊張が強すぎて吐かなかったのかな。。

苦しかったと思うと再び涙が。

泣きながら慌ただしくお通夜、告別式と。

告別式が終わるまでは寝てるだけ目を覚まさないかなとか、火葬が終わると実感が湧かなくて毎日悲しくて寂しくて、今はそれを過ぎると病院に入院してるのかなとか何かの間違いで帰ってくるんじゃないかと思う日々で。

息子が亡くなってから始めて夢にて出て来てくれた日。

動画じゃない静止画の夢で、深い青と言うか緑と言うか、深緑の川岸、息子のニッコリと笑った顔だけが出て来て一瞬で終わりました。

えくぼ伝説


息子は笑うとえくぼとても可愛らしく、えくぼってどうして出来るのかと調べてたら、私に逢うために生まれてきた。

私も男の子が欲しくて欲しくて息子が男の子ってわかった時には凄く嬉しかった。

8年間と短い日々。経験しないと障害がある子供を持つ親の気持ち、色んなことを教えてくれました。

息子には感謝してます。でも逢いたい、抱きしめたい、悲しくて思い出せば涙が。

片付けもしないといけないけど何も手につかない。片付けてしまうと現実を受け入れなければならない。時間が解決してくれるのかな。

でも誰かに聞いて見て欲しいと投稿出来たことも一歩前に進めたと思う。


一部当時のFacebook投稿から。


でも3月23日、息子が亡くなった日。

次の日は修了式だったのに。

定期検診以外では1度も学校を休むことがなく元気すぎる息子だったのに突然の別れ。


明日が。。