卒哭忌
今日は亡くなった息子の百ヶ日。
亡くなった日から百日目のことを指しますが、またの名を「卒哭忌」と言うそうです。
百箇日の法要
■四十九日までは、七日目ごとの法要を行うわけですが、その後は百箇日の法要となります。
■この間、お盆や彼岸などが入る場合もあります。
■百箇日は卒哭忌(そっこくき)ともいいます。「哭」は、声をあげて泣きさけぶ、「卒」は、終わる、という意味です。故人を思い、泣き悲しんでいた親族や近親者たちも泣くことをやめる頃、それが百箇日を迎える頃だ、ということから卒哭忌といわれるようになったのです。
■この日は、元来は、近親者や故人の友人・知人を招き、僧侶を招いて供養を行うものなのですが、最近は、遺族だけで内輪ですませることが多いようです。
■この百箇日の法要をお寺などで正式に営む場合には、故人の供養とともに施餓鬼会(せがきえ)を行う習わしもあります。
■また、地方によっては、四十九日ではなく、百箇日に位牌を仏壇にまつるところもあるようです。
とのこと。
「卒哭忌」辺りから、親族が故人を偲んで泣き叫ぶのをやめるらしいのですが、私はその逆、時には苦しみが増大して泣き悲しむ日が続いています。
正直、ここまで人の死にダメージを受けるとは思いませんでした。
というのも、祖父母が亡くなった時、確かに悲しみましたが時間とともにその悲しみは薄れていきました。
そのため、私は人の死に関してはドライな性格なのだと思っていました。
しかし、息子の死に関しては亡くなった今も悲しみが薄れることはありません。
今後生きていくうちで、おそらく息子の死以上にダメージを受けることはないと思います。
だって息子は私の身体の一部。誕生してこの世に産まれてきたのだから。実両親が亡くなったとしてもここまでダメージはないと思います。
苦しみが薄れないのは、それだけ息子との思い出が強すぎるから。息子と一緒にいた時間のことを思い出しているせいかもしれません。
でも、何があってもそれは忘れたくない。
自分の母親には悪いけど、母が亡くなったとしても息子以上に悲しむ事が出来ない。
息子の死で1番理解してくれたのは母である。
母は子供の頃、姉を亡くしてるから1番の理解者。
そして母の母親、私と同じ子供を亡くした経験をしている。
子供の頃の祖母を思い出すと強い人だなぁって今は思う。
いつか悲しまなくなる日が来るのだろうと期待している。
でも決して忘れてしまうことではなく強くなること!そう思ってる。
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